救命看護師からWebデザイナーに転身。上場企業でWebデザイン、ブランディング・PR担当を15年経験し、2016年独立、「紺デザイン」を立ち上げる。個人事業主から法人企業まで、幅広い業種のWeb構築に携わる。ブランディングやマーケティング講座では400人以上の支援を実施。価値を伝えられないとあきらめていた起業家に価値の発掘、言語化、ビジュアル化を展開し、課題解決をサポート。2022年より卍易風水師の免許皆伝。易占術を採用した「見える世界と見えない世界のバランスをつくる」、等身大でより良い未来を一緒に創り上げるため伴走をはじめる。
小学校1年の時に父が急逝し、先天性の難聴が判明。当時は、原因がわからず病院のたらい回しを経験し、4回目の病院で、耳小骨の欠如が原因であることがわかり、聴覚を改善するために6回もの耳小骨再建手術を受けました。毎回の手術のたびに自分が正常に聞こえないことを痛感し、周囲に迷惑をかけているという罪悪感を抱くようになり、その頃は、母や周囲の人々への配慮が当たり前のようになり、自分の感情を押し殺して生きる状態になっていました。
やがて、手術も成功して、私は今までの苦労をかけたこともあり、家計を支えるために看護師になりました。大学病院で働くようになり、救急外来に配偶され、緊張の毎日を過ごし、それなりにキャリアを積んでいた頃に母が亡くなり、私は重度のストレスが重なり、25歳の時にはミソフォニアという症状に苦しむことになりました。ミソフォニアは非常に敏感な聴覚を持ち、様々な音に過剰に反応し、心身ともにノイローゼに陥る状態です。
幼少の頃は聴覚に問題があり、成人後は聞こえすぎるという状態で、この世界の意味について疑問を抱いていました。しかし、その時はただ必死に前に進むことしかできず、看護師の仕事に打ち込んでいました。
転機が訪れて、私は趣味のオートバイで知り合った男性と結婚し、初めて仕事をやめました。この頃は、何もせずにただ過ごす時間ができました。その時間を利用して初めて内省する機会になり、自分が本当にやりたいことは何だったのかと思い当たった時に、幼少の頃、新聞の折り込み広告に入っていた住宅の間取り図を眺めて、自分の部屋を想像し、家具を配置することを楽しんでいた頃を思い出しました。間取り図の魅力は、自分の夢を形にできるところであり、そんな執着から、この道を進むことが自分の本当にやりたかったことだと確信し、気がつけば、専門学校に行って技術を取得し、建築会社へ就職して、人生で一番充実した日々を送っていました。
ところが転機はもう一つやってくることになります。建築事務所からWeb制作の依頼を受け、独学でWebデザインを学び、採用サイトを作成するようになって、高い評価をもらうようになりました。この経験をして、私は、第二の転換期としてIT業界へ就職し、WEB デザイナー、ディレクター、ブランディングコンサルタントと15年の会社員時代を過ごすようになりました。そして、起業後は、「紺デザイン」を立ち上げ、法人企業・個人事業様のブランディング事業を行うようなりました。
私が行うブランディングでは、個性や才能を強調し、他との差別化を図るための戦略を構築します。明確に伝えたいメッセージやイメージを明確にし、それに基づいてロゴやデザイン、コンテンツの開発を行います。さらに、ウェブサイトやソーシャルメディアのプレゼンスを強化し、オンライン上での存在感を高めることも考慮して仕事していく作業に無我夢中になっていました。
昨年から、易占術を用いて、現在の状況や課題、より深い洞察や方向性を提供するようになり、ブランディング戦略やビジネスの方向性を見つける仕事も多く経験するようになり、ビジネスで占いを採用することが多くなりました。また、個別の占いセッションでは、お客様が過去の感情に左右されてネガティブな自己イメージに囚われたり、自己の弱点や不安にフォーカスして自信を失っていた経験などを伺うことで、アドバイスをする機会がとても多くなりました。
私は、お客様の悩みを客観的に捉えるために、対話を通じてお客様のストーリーやバックグラウンドを理解しながら、強みや成果を再評価し、ポジティブな視点を持つことで、自己肯定感を高める手助けをするようになりました。風水のアプローチでは、自己免疫の向上や外部のバックアップの重要性に焦点を当て、環境のエネルギーを整えることで、個人のパフォーマンスや幸福感に影響を与えるお手伝いをさせていただいています。具体的には、仕事や生活の場所の配置やデザインの最適化、カラーコーディネーション、身の回りの整理整頓などを行い、心地よい環境を整えることに取り組んでいます。
私は、お客様の個別のニーズや目標に合わせた易を通じて、幸福をサポートすることに情熱を持って取り組んでいきます。